「ゆるす愛」について考えて反省をして・・それでも「ゆるせない」と言うこともあって。昨年1年、臨床心理学とコーチングを続けて勉強して疑問に思ったことがある。欲求には5段階とか発達の段階とかでいろいろ論があるようなんだけどその「欲求」の中で満たされないものがあるときその「欲求」を満たそうと、その段階に戻ることがある。ということが共通にあった。特に発達段階において、赤ちゃんのころの親との信頼関係が大事でそこの欲求が確立していないと最終的な自立にたどりつくのに、問題が起こるという話があった。欲求や達成していく段階というのは死ぬまであって、その欲求を満たせないことへの問題は死ぬまで起こりうる。??それで、その満たされない欲求があったとしたら「後になって」それがわかる。といわれた。「後になって」失敗がわかったとしても困るじゃない!!と私は思った。小さいときの失敗が後になって出てこられてもそこに戻ることはできないじゃない!ってコーチングでは「あるきっかけ」でその段階に急速に立ち戻ることがある。と言われた。だから、それが出ない人もいるし、出た場合どこまで欲求がもどっているかもしも、子供が赤ちゃんのころの満足できない欲求があり親とのスキンシップをもとめれば、高校生になっても一緒に布団にはいったりしてその子の欲求を満たすことでそのときの満足できなかったことを解決して前に進めるそんな話をきいた。「ゆるす愛」というのはそうした立ち戻ってしまった欲求があったときすごく役に立つ愛だと思う。それで、問題と思われる行動に対し、「ゆるす」ということで自分自身が楽になるように感じている。ただ、それが、子供の欲求でないのに、ゆるしていいのかな?ちょっとだけ疑問に思えてきた今日この頃(^_^;)子供の欲求段階がどこにあるのかとか心理学者なら分かるかもしれないけどそこまで考えて子供をそだててられないから結局は、そんなことが後で起こったとしても私はあなたをあいしているんだよと大きく受け止められれば乗り越えられるのかな。まだまだ先は長いけど・・・試行錯誤は続く・・・この本の中で「ゆるす愛」ともう一つ「親切の愛」と言うものもあった?子供の言ってほしいことを言う?子供のしてほしいことをする?子供の言ってほしくないことをいわない?子供の嫌なことを取り除く私が疑問に思っていたことがもう一つあった。行動が遅い子供。時間がかかっても靴を履くまでまってあげましょう。自分で支度ができるように。これは、子供がやりたい!という時に有効なことだと思う。子供がやりたくないのに、時間がかかる子だと思ってイライラまっていてもやってといって足を突き出す子供にそんなこと自分でやりなさい。そのくらいできるでしょもう、4ねんせいなんだから、こんなことできてもあたりまえ!!と、何もかも仕事を切り分けると言うことにたいして私は少し疑問に思っていた。もうずいぶん手はかからなくなったけどもう小学生なんだから、このくらい他の子はやっているのになんでうちの子は手がかかるんだろうこれも何度も思ってきたけどティッシュを差し出してあげたり、間に合わなければ間に合うように手伝ってあげることは、一緒にそばにいて気付いたのだから自然にやってあげることだと思う。自分はただみているだけで、イライラとプレッシャーをかけるなら手伝ってあげる「親切」ってあると思う。と、疑問に思ったことがある。親が親切にしないで、子供が友達に親切にすることってできないんじゃないかな?って普通ならそっと手を貸すことも、子供には最後まで自分の仕事みたいにしてきたことがあったように思う。それで「親切な愛」ということばは私には、すんなり入ってきて八方美人な私が外では誰にでも優しくできるのに身近な大事な人にそうしていたのかな?って少し考えている。身近な大事な人にこそ大事な扱いをしたいな。って。ただ、その親の「親切」感謝する心がない子には、何にも伝わらないんじゃないかなとも思ったりして・・・(^_^;)だけどね。親切にされた子供は親切な子になるそうです。感謝する心がない子だと思うということは、やっぱりその子に私は親切にしてきていないのかもしれません。。<やっぱり>ね。