前回のエントリーで、いろんな考え方を聞かせてもらって、皆様本当にありがとうございました。メールをくれた方々にも、本当に感謝。そしていろいろ、考えてしまって。聞いてもらいたいので書いてみます。私ね、まだまだ、仕事を始めたばかりで、いろいろ迷い、悩むことも多かったのです。自分が希望してパートの仕事を選んだのだけれど、やっぱり同じ職場でバリバリ働く女性社員の人は、うらやましい。(子育て中か否かに関わらず)たかがパートなのに、病気の子供を預けてまで働くなんて。(この件は夫の実家には内緒・・・絶対ひくから)せっかくフルタイムで働いているのに、収入が少なすぎ。(しかもギリギリ扶養から外れる、一番損なライン)shouが留守家庭に入ったら、やっていけるのかな?(延長してもギリギリお迎えに間に合うかどうか・・・)こんな仕事してて、何か将来役に立つのかなあ?(自分が目指したい分野とは全く違うから)そんないろんな思いを抱えつつも、やっぱり、働いて良かったなと思うのです。少しだけれども経済的に安心材料が増えること。組織の一員として、自分に与えられた仕事があり、多少なりとも役立っているのかなと思えること。同じ職場の、いろんな人たちの優しさに触れることができること。厚生年金や雇用保険料、税金などを通して、少しでも社会のためにお金を払っていること。そういうのは、私にとって、家庭の中にいるだけでは得られない、喜びの一つであることは間違いないのです。これは多分、専業主婦でいたときには、実感としてはわからなかったこと。たかがパートの私でも、こういった喜びを得られるのだから、自分が望んだ仕事、満足できる収入を得られる仕事をしている人は、もっともっとやりがいを感じることができるのだと思います。でもそれは、育児の喜びとは、また別の次元のもの。仕事がどんなに楽しくても、子供に対する愛情は、母親である以上、仕事の有無で左右されるものではないのです。えーーーっと。何が言いたいのか良くわからなくなってきた(笑)例えばヨーロッパのとある国で見られるように、女性が働く環境がすごく整ってきていて、父親も定時には帰ってこれるし、時短勤務も当たり前だし、夫婦が交代で育児休暇を取れるとか、そういう風に日本が変わっていけば、すごく良いと思う。でも現状、それはすぐには無理なわけで、日本の男の人たちのほとんどは、過酷な労働環境の中、心や体を壊しながら、家族のために無理して働いている。中高年の自殺者だってどんどん増えている。うちの夫も、かつてそうだったし、今も毎日、いつ倒れてもおかしくないくらい、ストレスの真ん中で戦っている。私がやっているような、パートの仕事って、そういう男の人たちのサポートになってるんじゃないかしら。責任ある仕事で忙しく働く人たちの仕事を、ほんの少しでも手伝ってあげることで、彼(彼女)らの負担を、少しでも減らすことができてるんじゃないかしら。たかがパート、と思っていたけれど、そのパート一人の仕事で、どこかの忙しい父親が、30分でも早く家に帰れるのなら、それはその家族が共に過ごせる時間を増やすことに、少し貢献してるといえるのかな。だとしたら、もっともっとパートで働く人が増えれば、結果として、子育てをしやすい社会を作り出すことにつながるのではないのかな。そう思うと、パートなんて・・・と思っていた自分にも、ちゃんと役割があるのだと、これも大事な仕事なのだと、前向きに捉えることができるようになりました。それから・・・例えば、看護師さんとか、学校の先生とか、女性が必要不可欠な仕事ってあります。(他にももっといっぱいあると思う。極端に言えば、水商売だって必要な仕事だと私は思ってる。)そういう職場で働く女性だって、結婚し、子供を育てることがあるわけです。それに、離婚でも死別でも、女一人で働いて、そして子供を育てていかねばならないこともあるわけです。そういう、私みたいなお気楽パートではなく、責任ある仕事をがんばってこなしていく必要がある女性たち。そういう女性達が、子供を育てやすい社会。そういう社会こそが、本当は必要なんじゃないかな。小さいのに保育園に預けられてかわいそうね、とか、病気なのに子供を預けて仕事に行くのね、とか、そういう考え方が、男性の間にだけじゃなく、同じ女性である専業主婦の間にもやっぱりあるし、私も今までそうだったと思う。責任ある仕事をして働く女性達は、いつもそんな社会の目と、自分自身の中にもあるジレンマと戦いながら、それでも悩んでいる暇も無く、毎日なんとかやっていってるんじゃないかな。もちろん「女は家を守るべき」的な考え方が、間違っているとは思わないし、世の中全ての女性がそういう状況でいられたら、生物学的には理想的なことなのかもしれません。でも、選挙権も被選挙権も女性が持っているように、やっぱり社会の中に女性は必要なわけで、そんな社会の中で働く一部の女性だけが、「女は家を守るべき」的常識の犠牲・・・とまでは言わないけれど、偏見に近い考え方と、日々戦っていかなきゃならないのは、おかしいんじゃないかなと思う。あー、なんか、もっと良い書き方ないかね(笑)当然専業主婦を否定しているわけではなく、私だって、今は元気なうちの父が要介護なんてことになったら、すぐにでも仕事をやめる心構えはあります。それは私にしかできない仕事だと思うから。だいたい、専業主婦っていう言葉はイマイチだよね。お気楽なイメージが多すぎるよね。また逆に、夫が病気や事故で働けなくなったり、まあ死別とか離婚とか、そういう場合になったら、がっつり働く覚悟もあります。(一応FPなので、最低限のリスクマネジメントはしてるけど。)実際私の周りには、一人で立派に子供を育てている母親が、本当にたくさんいるのです。彼女達を見ていたら、「女は家を守るべき」的な考えを超越してしまう。だってそこには、母親が家にいなくても、立派に育っている子供たちがいるから。要は言いたいのは・・・どんな状況にあっても、社会が、温かい目で、子育てを支えてくれるようであって欲しいなあ。子供って、母親一人が育てるものじゃなく、おじいちゃんおばあちゃん、友達、先生、地域の人たち、そんないろんな考えを少しずつ吸収していって、育っていくものだと思います。子育てじゃなく、「子育ち」ね。もちろん母親が完璧であれば、母親一人が育てても良い方向に行くかもしれないけれど、私みたいな中途半端な母親がつきっきりより、いろんな人の良いところをチョイスできるほうが良いと思う。母親の専売特許は、愛情を与えてあげること、それがしっかりできていれば、子供は間違った方向にはいかなんじゃないかな。それに、例え母親が、もしくは父親がいなくても、誰かが愛情を注いでくれれば、やっぱり間違った方向にはいかないんじゃないかなと思います。その愛情の注ぎ方も、それこそ人それぞれで、一緒にいる時間の長さや、習い事にかける費用だけじゃ計れない。私自身に置き換えてみても、母は教育熱心なほうじゃなかったし、長期入院していたことも何度かあり、普通の母娘より、(って普通の親子ってじゃあ何って感じだけど)すごく距離があったと思う。父にしてみても、毎日のように飲んで遅く帰り、休日もどこかに連れて行ってくれた試しがない。それでも、母親、父親としての愛情は、私はちゃんと感じていたし、今もとても感謝している。だから、例えば子供が病気のとき、母親の手が足りないときに、ジジババが看るのはOK、でも他人はNGとかではなく、手を貸せる、信頼できる人や、社会のシステムが看てくれれば、そしてその分別の形で、子供にしっかり愛情が伝わっていれば、それはそれでいいんじゃない、そういうふうに自然に誰もが思える社会だと、どれだけ救われる女性がいることか、と思います。何でもかんでも母親じゃなくてはダメだ!じゃなくって。あ〜ごめんなさい、なんか夜中なので、寝ぼけながら書いてます・・・私の言いたいこと、なんとなく伝わったかなあ。まだまだ駆け出しWMの、独り言でした。PS まこちゃんメールありがとうね!返事、書くから待っててね!